ある男系限定論者がまたぞろ、こんなことを書いている。
「『持続可能な皇室』というのなら、男系継承の維持という
『日本の国柄を守ると同時に、皇室の方々の負担を軽減する』制度
でなければならない。
それは『もう1つの皇統』である旧宮家の男系男子の子孫が
皇籍を取得し、皇族となられ、現在の皇族方をサポート
することである」(八木秀次氏『正論』7月号)。
例によって思考停止の典型のような文章だ。
それにしても、他人を“将棋のコマ”扱いして、
当事者への想像力が全く欠如しているのは、目を覆いたくなるほど。
何十年も世俗の中で暮らして来た旧宮家系の国民男子を、
そのまま高貴な皇室に迎えるような“荒っぽい”プランを、
当の皇室の方々がどのように受け止められるのか?
全く眼中にない。
実は、皇室の側から既に「違和感」が表明されている。
勿論、お立場上、慎重にお言葉は選ばれている。
しかし、謙虚かつ虚心に拝せば、ほとんど誤解の余地がない表現で、
そのお気持ちは示されているのだ。
少し冷静に考えてみれば、皇室の尊厳を守り抜くご覚悟からも、
そうしたご反応は至極当然だろう。
また、旧宮家系の国民男子の側でも、
既に皇籍取得の意思はないことを表明している。
逆にその意思があるとした人物は、これ迄ゼロ。
これも、当事者の立場に立って普通に考えたら、当たり前。
「勝手なことをホザいて。他人の人生を何だと思ってる!」
という反応があってもおかしくない。
更に上記の発言には国体上、極めて重大な問題がある。
それは、民間に「もう1つの皇統」がある、との放言だ。
元皇族であっても、皇籍を離れ、国民の仲間入りをすれば、
もはや“国民としての血筋”であって、皇統ではない。
言う迄もないことだ。
そうでなければ、皇統はいくつにも分裂し、
皇位継承の行く末に測りがたい混乱をもたらす。
歴史を顧みれば、そんなことは自明だろう。
桓武天皇の血筋を受け継いでいても、
平氏の血筋はもとより臣下の血筋であって、
決して皇統ではあり得ない、なんて中学生でも分かる話だ。
皇族が皇籍を離れるに当たっては勿論、様々な事情が介在している。
それらの事情を選り分けて、こちらは皇統、あちらは非皇統などと、
区別出来る訳がない。
そもそも「誰」が選別するのか。
明治以降に限っても、多くの皇族が民間に降っておられる。
それらを一々、数えていたら「もう2つの…」「もう3つの…」
「もう4つの…」と際限がなくなる。
そもそも、神武天皇の「Y染色体」なるモノを
持っていれば良いのなら、「皇統」は国内に満ち溢れている
ことになって、皇室と国民を区別することすら原理上、出来なくなる。
それで「日本の国柄を守る」ことが出来るのか。
この種の、皇室とは別に、民間にも「皇統」が
存在するかのような暴論が、いかに不逞、不敬の極みであるか、
当人たちはまるで気付いていないのか。